題名

主誰糸春雨(下)(ぬしやたれいとのはるさめ(げ))

詞章

声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第4編 常磐津集(明治42年)

(資料目次に括弧書きで「白糸主水」とある)

『実と誠が行合の、梯子に足も引過の、濡によるてふ貸浴衣、著つゝなれにし廊下口
『アヽよう/\の思ひで湯へ這入り、心持もよくなつたが、兎角ならぬがこの二階、堰れて上れぬ今の身の上、尚上りたいと言も因果な事、夫はさうと今宵お糸が所へ上つた客は外の女郎に聞ても頭巾を冠つて顔を見せぬが、此頃お糸が素振と言ひ、おのれ其分で済うと思ふか
『気も紫色の胴抜を、あた腹立に手早に著なし、急立胸を押鎮め
『イヤ/\荒立ては却て身の恥、座敷へ這入て其客を屏風越にヲヽそうぢや
『と身を潜め、間毎/\の灯火も、いとしん/\と鉄棒の、鈴虫引し後や先
『手鍋提ようと口では言ど、実は乗たや玉の輿
『ぞめくいなせの頬冠り、諷う声さへ風の伝手、隣座敷の三味線は
『何処の間夫めと忍び駒
『ソリヤこそ俺が推量の通り、二人めそ/\泣て居るが、あの塩梅では此頃の事ぢやない、とうから色になつて居たとみえる、斯様事とも知ずして、可愛想に女房の意見も上の空、おやす堪忍して呉れ/\やい
『他処で解く帯知ずして、くける糸より細き縁
『アヽモウ今日といふ今日思当つたは、此様な態になるも、みんなあの腐れ女郎に誑された許りエヽ口惜いはい
『つい切やすくほくろびて
『俺が心も知ずして、面白さうに弾おるは、何は兎もあれ爰へ引出しづた/\に、イヤ/\大小は爰に無し、チエヽどうして呉う
『胸に据かね隔ての障子、砕くる許りに押明て
『コレお糸一寸来い、イヤサわれには言事がある
『無理に引出し髻髪、とらんとするを隔つるおやす、さは知ずして急立つ主水
『申し御免なされ、私はあの女に一寸と話が御座りまして参りました、手間はとりませぬ一寸の間、お貸なされて下さりませ
『引捕へんと立寄を、やらじと支ゆる女房が、頭巾を脱ば
『ヤアわりや女房おやす
『旦那様主水殿、チエヽお前様はなア
『私が言ば悋気らしう、思召も御座んせうと、白糸殿を頼み意見して下されと、頼みに来たも御家が大事、又二つには娘のお徳、お前様が翌が日お暇となるときは
『何を生計に暮さうぞ、弁のない子心にも、私が顔の痩せたのを見て他処ながら父様へ、御意見申しおつとめと、ませたとりなし可愛さは
『もし私許りの子ぢやないに
『親らしい事もなく無得心は何故ぞ、いかなる天魔が魃りしぞ、夫に付ても白糸殿
『斯した勤の身の上で、驚き入た心の橾、夫に引替お前の行跡、緋鹿子の扱帯は何事ぞ、イヽエなア、此お髪の結様、是が鎌倉御直参の風俗で御座んすかこれ
『十九や廿ぢやあるまいし、情ないお心やと、真実心の強意見、白糸涙押し拭ひ
『此年月御新造様の御苦労を、余処に見なして聞入ず、二言めには今の様に、訳も聞ずに打ち打擲、爰に御座んしたがあなたなりやこそよけれ、他所の武士衆なら座敷へ這入る不法者と、咎められたら何としやんす、エヽさうした邪慳なお前でも
『堰れて後は身を狭う、一目忍ぶが味気なく、ありとあらゆる嘘言て
『客に無心も誰故ぞ、みんなお前に入揚て、部屋著共に身を投掛け、身悶すること道理なり
『おやすは軈て金子の包、取出して前に置き
『此お金にて何角諸払、肩身を広う帰らしやんせ
『あやまつた/\お糸其方の親切おやすが心配、今といふ今骨身に染て何といふ言葉もない、今迄と違ふて其方衆が相談づくで、俺が身体を思ふて呉るもの、何悪く思ふものか、了簡してくれ二人の者
『心直きは折やすく、真実見へて頼もしき
『そんなら翌は出勤を届けに出て下さんすかへ
『夫ぢやといふて勤道具も何もかも
『ハテ其心当がなうて何のお前に、勤めて呉いと言ませうかいな
『何事もおやすさんと話合ふてある程に、今宵は何卒
『是非帰れと言のか、道が不用心だのに
『什麼憶病なお武家さんがあるものかいなア
『サア其武士が嫌ひ故
『女房に許りあやまつて居るやつさ、サア往かうと立上れば
『かねて覚悟の白糸が、主水の側に寄添て
『必ずともにお近いうちに
『誰が来るものか、此新宿の二階も見納
『そんなら是が永い別れに
『ヤア
『御新造様
『お糸殿
『ドリヤ帰らう
『と名残はをしの別路や、衾をわけて倶涙、堰とめかねる女気の、誠の心は女房の、其言の葉や白糸が、胸に満来る濁り水、果しなみだの憂き思ひ、心残して出て行く

分類番号

00-1331200-n3s2y1t1-0002
データ入力日:2016/05/17

常磐津 主誰糸春雨(下) 歌詞