小夜衣(常磐津) - 純邦楽詞章集

題名

小夜衣(さよぎぬ)

本名題

恨葛露濡衣(うらみくずつゆにぬれぎぬ)

詞章

声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第4編 常磐津集(明治42年)

(資料の題名『恨葛露濡衣』)

(河竹新七述)

『引四つに、月夜の里も恋の闇、忍び郭を遠近の、一目堤を横切て、手に手を取りて二人連
『濡る裳の露ならで、心置く身は雨空に、乱れて渡る雁さへも〔合〕若し追手かと驚かれ、慄ふ足もと音を忍ぶ、秋の蛙の声かれて、田川の水の浅き縁、死ぬる覚悟も癪故に、歩み兼てぞ立休らひ
『アイタヽヽヽ
『モシどうぞなさんしたかいなア
『掟厳しい廓を抜け、ヤレ嬉しやと思ふたら、心のゆるみに持病の癪がアイタヽヽヽ
『こりや困つたもので御座んすが、何ぞ薬は御座んせぬかいな
『死うと覚悟極めし故、薬を飲むにも及ばねど、せめて二人が死所と定めし、小梅の菩提所までどうぞ早う行きたいものだが、行くに行かれぬ此のさし込
『さうして此処等に斯して居たら、追手の者に捕へられ、如何なる憂目に逢ふも知ず
『小梅まで行かれずば、何処で死ぬのも同じ事
『爰を二人が死所に、果敢なく消る土堤の露
『秋の夜長に引換て、契り短き身の上は
『西へ傾く月代を
『よすがとなして冥世の旅
『今更言も愚痴ながら
『そも突出の其日より、郭馴ぬ身に染み/゛\と、惚て起請の書様も、弄られながら朋輩に、聞て書く夜の墨の色、薄き契りに今日の今〔合〕筆の命毛切果てゝ、硯の海の姉さんに、恩も送らず死るのは、皆定まる約束と、思ふて早う殺してと
『言ふに此方も苦しさこらへ、そりや我とても父母へ、孝も尽さで今死なば、歎きをかける不孝の罪、お詫は草葉の蔭よりと、しぼる袂の露時雨
『鐘の音しづむ真夜中に、往来も稀なそゝり節
『二寸切れて居続けさんせ、雨の降るのに帰さりよか
『今大門で話を聞ば、丁子屋の小夜衣は、欠落をしたと言事だが、千太郎が連出たか、おいつア俺も掛り合だ、聞捨にやアならねへはへ
『ト言ふ声聞て両人が逃んとするを透し見て
『ヤ其処に居るのは小夜衣千太郎か
『エヽ
『いゝ所で見付たわへ
『モシどうぞ見逃して下さりませ
『どうして是が見逃せるものか、外の者なら知ねへこと、俺が判の這入て居る小夜衣、連出されてたまるものか、二人共丁子屋へ、そびいて行くから覚悟しろ
『モシ三治さん、御尤もでは御座りまするが、添に添れぬ身の上に、死ぬる覚悟で廓から、連て逃たる此小夜衣
『見ず知ずと言ふではなし、麹町のおぢさんと兄弟分のお前故、知ぬ顔して此儘にどうぞ見逃して下さりませ
『イヤあんまり呆れて物が言へねへ、大金を出して抱へた小夜衣、死れて見ろ丸損だ、其祟は判方の長庵と俺が難義、見逃すどころか二人共
『そんならどうでも此儘に、見逃しては下さんせぬか
『知た事だサア/\きり/\と、うしやアがれ
『小腕とつて引立る、やらじと縋る千太郎、是まア待つてと小夜衣が、とめるもかよわき女郎花、情嵐の一吹に、折て倒るゝ萩芒、跡白露と行先は
『又一吹の小夜風に、雨雲はこぶ秋の空、かはる習ひの男気も、変らぬ忠義久八が、只一筋に歩み来て
『宵に土堤で若旦那を、見かけた故に跡をつけ、仲の町までいて見れば、女郎が先へ待て居て、うつゝ他愛もない有様、直に踏込御意見せうとは思ふたが、満座の中で若いお方に、恥をかゝすも本意ならねば、帰りを待て此土堤を、宵から幾度行たり来たり、只さへ長い秋の夜に、待るゝ身より待身の譬、今うつたのはアリヤ八つかしらぬ
『小川にかゝる橋の名の、神ならぬ身にそれぞとも、知でつまづく縁のはし
『是は/\何れのお方で御座りまする、真平御免下さりませ、と立寄つて、ハテナアこの往来に今時分、寝て居らるるは生酔か、ヤ息づかいの塩梅は、どうやら病に困む様子、モシどうぞなされましたか
『雲間を出る月の影
『ヤア若旦那でござりますか
『コレ小夜衣はやらぬ/\
『モシ気を確然とお持なされませ
『ヤさういふ声は
『久八で御座ります
『ヱヽヲヽ其方は久八、アヽ面目ない
『面目なやと逃出すを、引戻してつれ/゛\と、涙持つ目に顔うち見やり
『モシ若旦那、此久八の顔を見て、逃る様なお身持には、何でおなりなされました
『エヽ
『ヱヽお前さまはなア
『今更言ふに及ばねど、お前様は私がお世話申して御養子に、お出なされし御身故、一方ならず思へばこそ、五十両の短刀も、此身に罪を引受て、十二の年から勤めたる、お内を不首尾に出ましたも、悪いお名をつけない為、伊勢五の内の番頭は、見かけによらぬ不埒者、紙屑買て歩くのは、心柄ぢやと人さまに、芥のやうに言るゝとも
『お前さまさへ御辛棒にて、御家督相続なさるれば、尽せし忠義も現はれて、又元々の主従に、なられませうと夫れのみを、朝夕願ふ甲斐もなく、コレ此様なお身持では、アノ物堅いお内故、翌とも知ず御離縁に、おなりなさるは知たこと、さうなる時は富沢町の御両親様へ、私が何と言訳がなりませう、何ぼお若いお心でも、よもや再び廓へは、お出なされぬ事とのみ、思ひましたは田舎気質、正直すぎたが今では後悔、ようも誑して下さりましたな
『其恨みは尤もぢやが、さら/\誑す偽るのと、そんな心は微塵もない、色に迷ひし若気の誤り、久八其方へ言訳此場に於て
『さしたる一腰抜より早く、既に斯よと見へければ
『ヱヽ滅相な事なされますな、お前様に命を捨させ、此久八が悦びませうか、誠のお人にしたいばつかり、夜の目も寐ずにまご/\と、蚊にせゝられて此土堤を、幾度歩くか知ませぬ、今お前さまに死れたら、是まで尽した忠義も水、短気な事して下さりますな
『イヤ/\わしは其方に逢ずとも、今宵は死ぬる覚悟の身の上
『エソリヤマア如何なる訳あつて
『サア是迄隠して使ふたる、金のたゝまり二つには、如何なる前世の悪縁か、思ひ切れぬアノ小夜衣、所詮此世で添れねば、心中せうと覚悟を極め
『これ此様に書置まで、互ひに持て郭をぬけ、爰まで首尾よく逃のびしが
『思ひがけなく手柄の三治に見咎められて、小夜衣を引戻されるをやるまいと、争ふ途端に脾腹をうたれ、気を失ふて跡知ねど、翌はこの身の大事となれば、せめて其方へ言訳に、爰に死ぬのがまだしも仕合、どうぞ留ずと死なしてたも
『知ぬ先は是非もないが、此久八の目にかゝり、何んであなたが殺されませう
『それぢやと言て生ては居られぬ、此手を放して呉やいの
『イヱ/\滅多に離しは致しませぬ
『とめる途端に久八が、持たる刃誤つて
『モシ若旦那どうぞなされましたか
『イヤ/\案じるな、どうもしはせぬ/\
『ヤ五音の調子呼吸の狂ひは、コリヤ誤つて若旦那を、ヤヽヽヽヽ
『呆れて膝はわな/\と、目もくれないの草紅葉
『モシ若旦那、お気を確かにお持なされませ、あなたにお怪我をさせまいと、とめる途端にあやまつて、ひよんな事を致しました、こりやどうしたらよからうナ
『苦しむ手負を介抱なし
『アイヤイヤ其方の知た事ではない、もとより死ぬる覚悟と言ひ、我と我手についた疵
『イヱ/\あなたぢや御座りませぬ、此久八がとめる拍子についたので御座ります
『まだ/\什麼ことをいふか、先非を悔て自殺する、身の言訳を親達へ
『言ふ息さへも絶へ/゛\に、冥土を照す常灯の、灯火も消る夜半の露、果敢なく息は絶にけり
『モシ若旦那、千太郎さまいうのう、コリヤもうことが切たか、ホホ――野末に弱る秋の虫、哀れを告る道哲の鉦鼓の声も澄み渡る、南無阿弥陀/\
『忠義一図に凝固まり、怪我とは言へどお主を殺し、今は不忠となつたる此久八、これよりお上へ訴へ出で、三尺高い木の空で、主殺しの御成敗、受て死ぬのが罪滅し、モシ若旦那、遅かれ早かれ私も、跡より冥土へ参りまして、此身の御詫を致しまする、有るか無いかは知ねども、三途とやらの川端で、お待なされて下さりませ
『今は詮方亡骸へ、手向の水も宵の雨、木々の雫も袖ぬれて、唱ふる六字の無常音
『南無阿弥陀仏/\
『小蔭に窺ふ以前の三治
『うぬ人殺しめ
『やらじと三治が組つく折から、更て田町の騒ぎ歌
『待宵は三味線弾てしんき節、泣て別れて後朝の、袖か袂と恨み侘び、逢ふ時ばかり引よせて、よんやさ/\
『罪科重き久八が、心の鬼にせめられて、今の地獄の苦しみと問註所さして急ぎ行く

分類番号

00-1331200-s1y5g2n3-0001
データ入力日:2016/05/17

常磐津 小夜衣 歌詞