各編出版事項

徳川文芸類聚 第9 俗曲上

 大正4年1月25日発行
 編輯兼発行者 早川純三郎、発行所 国書刊行会

徳川文芸類聚 第10 俗曲下

 大正4年6月25日発行
 編輯兼発行者 早川純三郎、発行所 国書刊行会

各編例言

第9 俗曲上

徳川文芸類聚第九 俗曲上
    例言

俗曲の語は、世俗の慣用によれば、謡曲琴曲等に対して、汎く浄瑠璃の各派上方唄、江戸長唄の類より端唄流行唄に至るまでの総称なるが如し。よりてこゝにも同じく此の語を広義に解し、浄瑠璃と唄とに渉りて、名什佳篇を輯むるを以て方針とせり。而して此の文芸類聚中別に浄瑠璃の部あれば、所謂浄瑠璃の丸本は一切これに譲りて、此の俗曲の部には専ら唄浄瑠璃と称せらるゝ一中、河東、常磐津、富本、清元、新内、薗八等の詞章のみを採録することゝせり。又唄に関しては、上方唄又は俚謡にして既に前期の刊行書中に載せられたるもの多ければ、これにはそれに漏れたるものを補ふを旨意として、江戸長唄江戸端唄の類を編入せり。かくて元禄宝永の頃都太夫一中が京都に創めたる一中節の正本、一中の門より出でたる宮古路豊後掾の語り物、豊後の流を汲める常磐津、富本、清元、新内、薗八の諸流すなはち上方系に属するものゝ詞章を纂めて上巻とし、江戸系に属する浄瑠璃と唄とを以て下巻とせり。
此の書に掲ぐる所のものは多く謡ひ物なり、節によりて美化せられたるを聴くべく、舞踊の件ひて、文と節と振との三者を総合して味ふべきものなり、単に読み物として論ずべきにあらず。従来此等の詞章を目して、端物なり、筋の通らぬ物なり、当り文句の集団なり、卑俗極る狭斜趣味の物なりと貶する者なきにあらず。まことに脚色支離滅裂の弊はあり、糊塗補綴徒らに名句を連ねたるの失はあり、軽浮繊巧にあらざれば蕪雑醜陋に陥りたるの欠点はあり。されど此等は謡ひ物の通弊にして、謡曲琴曲にも此の憾なきにあらず。またひとり我が国の謡ひ物の上にのみ限りたることにもあらざるなり加ふるに評者の言は、動もすれば、清元、常磐津、新内、江戸長唄類の、比較的近代の狂言作者の筆に成りし章句をのみ通読し、一中、半太夫、河東等の語り物に優麗と含蓄とを味はずして説くの嫌なきにあらず。常磐津江戸長唄の如きにありても、元文寛保より明和安永の頃までの作には、単に読み物としても玩賞すべきもの尠からざるなり。此の書の収むる所、もとより旬々皆錦繍にあらざれども、これによりて徳川幕府時代中世以降の人情風俗の推移を知るべく、演芸と歌謡との変遷を観るべく、また富来の楽章製作の資にも供すべきなり。
上巻載する所八部、其の半は新に編纂したるものにして書名も其の流儀に多少の因縁を求めて新に名づけたるがあり。楼草集といひ柏葉集といふの類これなり。校訂の方針は、なるべく原文の面影を存するを旨として、仮名遣、当字、句切点の類一に皆旧によれり。ただ余りに読み下し難く、誤解し易しと認めたる仮名書の箇所のみは、特に之を漢字に改めて其の振仮名に原本の書き方を存したり。また底本はなるべく其の当時の初版本を選びて、墨譜すなはち所謂胡麻点を除くの外は、すべて皆節附を掲げたり。蓋し閲読の際、これによりて文趣を解し得ること尠からざればなり。八部はすなはち左の如し。

一、旧刻都羽二重拍子扇二巻 五代目都一中が斯流再興以前の語り物五十段を集めたるものなり。刊行の年次、出版元共に明かならず。版式は寄せ物合綴の体にあらずして、特に版をおこしたるものゝ如く、元文寛保頃の印行とおぼし。
    辰巳の四季 子の日の松 三幅対 千ト北岡土産
の類、固より斯流独特の語り物に富めども、近松門左衛門の作に成れる浄瑠璃の一段一節を抜きたるもの尠からず、道行景事など、文に花を飾りたるもの多し。言葉の巧を好む所、一中がもと僧侶たりしといふに多少の因縁ありといふべきか。今流布せる都羽二重拍子扇とは全く別本なり。

一、宮古路月下の梅二巻 宮古路豊後掾一派の語り物三十七段を集めたる書、二枚三枚より成れる稽古本を合綴したる寄せ本式の体をなせり。これも刊行年月詳かならざれども、恐らくは元文年中、豊後節禁止前後の出版ならん。三十七段のうち、過半は世話浄瑠璃の道行に属す。同じく近松の作より借り用ひたるが多し。
    傾城小夜の中山 若楓口舌帯 狩場桜通翼 淀染三雁金 駒鳥恋関札
など、初代常磐津文字太夫が未だ宮古路文字太夫と称へたる頃の文字太夫の語物をも含めり。江戸本浜町伊賀屋勘右衛門の版行に係る。

一、宮古路窓の梅二巻 月下の毎に稍おくれて、新大阪町の三川屋源七によりて出版せられたる書なり。同じく豊後掾及び其の門下の語り物二十八段を載せたり。其のうち比翼の初旅道行外八篇は月下の梅と重複したれば、此等は其の外題のみを掲げて本文は省略せり。此の他、
    奈良八景 大和歌五穀色紙(はちたゝき道行) 天智天皇美人揃
 の如きは、版式、節附、墨譜等まで全く旧刻都羽二重拍子扇と同じ。
偶以て一中節と豊後節との相承親近を語るものといふベきなり。

一、常磐種一巻 常磐津節の家元にありては、斯流の語物を集めたる書の総称に此の名を用ふ。(嘉永年中須賀太夫常磐種の外題のみを載せ、此の名を附して出版したることあり、)今此の名を襲ぎて新たに編纂したる常磐津正本集に常磐種と名づけたるなり。常磐津の語物は、累計せぱ七八百段に上るべく、上享保元文より下慶応明治にかけて、凡百五六十段を抽けば、これを以て斯流の語り物を代表せしむるを得るに似たり。然れども紙数限りあるを
以て関扉、戻駕、宗清、葱売の類よりはじめて、最も注意すべきもの六十段を逡びて、年代順に排列せり。六十段選拝の標準左の如し。
    (一)初代文字太夫より四代目豊後大掾に至るまでの各太夫の代表的語り物を採ること。
    (二)宝暦明和時代、文化文政時代といふか如き各時代を代表する狂言作者、たとへば壕越菜陽、金井三笑、桜田治助の如き人の作を漏さざること。
    (三)溯りては常磐津の母楽とも称すべき一中又は義太夫の語り物、下りては同門又は分派の語り物と、上下に系統的連絡を有する作は、なるべく網羅すること。
    (四)段物は概ね長篇にして、殆ど義太夫節の語り物其儘なるが多ければ、一切載せざること。
かくて其の結果は初代又は二代文字太夫時代の語物は比較的に多数を占め、近代の作は、少きに失するが如きに到りたれど、初代二代当時の作は、唄浄瑠璃史上極めて重要なる位置を占むるにも拘らず、正本の伝はれるもの極めて稀に、近代の作は其の流布汎ければ、かゝる選択をなすも失当にあらざるべきを信ず。

一、桜草集一巻 富本節の正本集なり。富本の紋の桜草を採りて新に名づけたるなり。富本一流四五百段の語り物中より六十段を抽きたるものにして、選択の標準はほぼ常磐種と同じ。而して六十段のうち四十段は二代目富本豊前太夫一代即ち明和より文政にかけての語り物に属す。これ全く富本節の全盛期にして斯流の名曲十に八九は此の年間に現はれたるを以てなり。

一、柏葉集六巻 清元節正本集にして、柏葉集の名は清元の定紋三つ柏に因みたるなり。天保年中刊行の清元稽古本と題せる五巻の豆本を本とし、これに漏れたる斯流の名曲を拾ひて第六巻とし、併せて五十六段を載せたり豆本は今行はるゝ明治八年複刻の普通稽古本と照合するに、まゝ異る所あれど、此の方旧態を止めて参考に資すべき点多ければ、更に改竄を加へず。今専ら行はるゝ子守、玉屋、神田祭、明烏、清心の類は概ね天保以後の作にして、拾遺の第六巻中にあり。目次の外題の下に新に俗称と年代とを加へたるは、先の常磐種桜草集と共に読者の便を計りたるなり。

一、新内節正本集一巻 新内節の語り物は二百段にも上るべしといふ。多く男女間の癡情を叙して、千篇一律の体をなせり。現時行はるゝものゝ数また甚だ尠し。今、明烏、蘭蝶、尾上伊太八当斯流の 代表曲を主として凡そ二十曲を輯めたるものこれなり。詞章は鶴賀若狭掾の自作に係るもの多しと伝ふれど明かならず。年代も亦全く知り難きもの多ければ、これのみは年代順に排列せず。

一、増補宮薗集都大全一巻 宮古路豊後掾の門入宮古路薗八一流の正本なり。世には之を薗八節と称すれども、斯流にありては古より宮薗節と呼べり。宮薗節の正本としては〔宮園〕鸚鵡石(安永二年刊)最も名高く、これに先立ちて世に出でたるものには宮薗花扇子(明和六年刊)ありて、各二十幾篇の語り物を収めたれど、これよりも更に古く、更に稀本にして、輯録の多きは此の都大全なり。宝暦十三年の刊行にして四十四段の語り物を載せたり。義太夫の語り物其儀なるが多けれども、旧態を存して敢て増減を試みず。

    大正四年一月                    高野斑山識

巻10 俗曲下

徳川文芸類聚第十 俗曲下
    例言

本巻には専ら江戸に起りたる長唄端唄并に浄瑠璃諸流の正本類を纂輯せり。上巻に傚ひて解題を加ふ。

一、色竹蘭曲集 二代目薩摩次郎右衛門の門人土佐少掾橘正勝が語り出したる土佐節の端物浄瑠璃七十六段を集めたるものなり。斯流は寛文延宝年中より世に行はれて、寛延宝暦の頃には殆ど廃れ果てたるものなり。此の蘭曲集は刊行年次明かならざれども、享保を下らざるものの如し。

一、半太夫節正本集 江戸肥前掾の門人江戸半太大の正本を新に集めたるものなり。半太夫の語り物は多く端物のみ伝はり京阪地方に行はれて松の葉、増補松の落葉の順に掲げられたるものの外は、主に河東節の語本の中に載せられたり。これ河東節の斯流より出でて、斯流の語り物を其の儘用ひたりしによれり。今此等河東節の正本以外に寛延宝暦の頃江戸の劇場に於て語りたるものをも拾ひて併せて九十段としたるもの、即ち此の正本集なり。九十段のうちには祝言物あり、御座敷物あり、段物あり、段物は其の操座に於て演じたる浄瑠璃の一段又は敷段をぬきたるものに他ならず。此等は何れも皆河東節に於てその節を語り伝へ、明治の初年にありてはなほ其の三十段を存したりしが、今の家元山彦秀翁の語り得るは僅に十余段に過ぎず目次に○印を附したるものこれなり。

一、十寸見声曲集 初代十寸見河東が、江戸半太夫に分れて初めて作りたりといひ伝ふる「松の内」よりはじめて近年の作に及し、純然たる河東節の語物八十六段を収めたるものこれなり。従来河東節の集には古正本合綴体をなせるものに紅葉集、幸葉集等あり、特に版を起したるものには、古く鳰鳥、夜半楽あり、中頃に十寸見要集あり、近く文政に及びては十山集、天保に入りては東花集、明治四十三年には新に撰びたる十寸見要集もあり。されど此等は多く半太夫物を掲げて、純然たる河東節の語物を載すること四五十段に過ぎず。よりて以上列挙せる諸書の外に絵表紙の正本を渉猟して新に一切を年代順に排列したるものは此の声曲集なり。附録として載せたる「傀儡師」「泰平往古踊」の二段は外記節の語り物にして、古くより河東節に於て語り傅ふる所たり。

一、歌撰集 めりやす集の最も古きは、宝暦七年に刊行するめりやす豊年蔵なり。余は此の書を得んと欲して十数年の間心がくれども、遂に見たることなし。歌撰集は其の序文に記せるが如く、豊年蔵の続編ともいふべきものにして、宝暦九年七月江戸浅草伊勢屋吉十郎の版行したるもの、菊慈童以下三十篇を載せたり。これまた極めて世に稀なる書なり。

一、〔旧刻〕荻江節正本 明和二年正月、同じく江戸浅草伊勢屋吉十郎が、当時遊里に行はるゝ唄を集めて版行したるものなり。此の唄の江戸長唄なるは明かなれど、江戸長唄の一流荻江節の正本なりや否やは確証あるなし。逸名江戸長唄集とも称すべき書なれど、姑く帝国図書館の名づくる所に従ひて荻江節正本と標す。前の歌撰集の続編とも見るべし。長唄四十八篇を載す。

一、常磐友前集 江戸長唄集なり。明和三年五月江戸長唄八十七篇を収めたる常磐友一冊刊行せられ、此の書は翌四年に至りて二十九篇増補せられたりしが、同七年には別に新作七十五篇を集めたる〔新版増補〕常磐友版行せられたり。後安永二三年の頃に及びて、此 の書に明和八年後の作に係る長唄五十六篇を加へたる長唄集一冊出版せられたり今以上の書を編次総称して仮に常磐友前集と名づく。江戸長唄の起原より明和の末年に至るまでの作は、概ね此の中に尽きたり

一、常磐友後集 同じく江戸長唄集なり。全く新に編纂したるものにして前集に漏れたる唄及び安永以後に出でたる唄二百三十五を収め、年代順に排列して、仮に此の名を附したるなり。江戸長唄は累計せば恐らく二千篇に上らん。而して今行はるゝものは素唄物踊物、鳴物入りの物を合せて二百四五十番を超えざるが如くなれど、其の正本を見ること既に難事たり。況んや古絵表紙正本の初版類に於てをや。江戸長唄の詞章を見んとする者にありては、此の常磐友前後集に優るものなしといふも過言にはあらざらん。

一、歌沢節正本 安政年中旗本の士にして隠居の身となりし笹本金平(彦太郎ともいふ、笹丸と号せり、)御家人の柴田金蔵及び畳職虎右衛門等によつて謡ひ出されたる歌沢節の正本にして、表紙には歌沢節、見返しには歌沢笹丸直伝と見えたり。文久二年、柴田金蔵分離して一派を立て哥沢芝金と号したりしが、此の芝金の正本にこれと体裁を同じうせる三冊物あれど、歌沢の方本流にして時代も古く、且つ謬説ながら端歌の権輿を述べたる叙文のあるも珍しければとて、歌沢方の二冊物を採用することとせり。

    附記
    書により唄によりて、句切のあるものありなきもあり。曲節附の精粗も亦必ずしも一様ならす。これ等は一切正本によりて更らに私したる所なし

    大正四年五月          高野斑山識

『徳川文芸類聚』の入力に当たって

元の体裁

 『徳川文芸類聚』は以下の様な体裁で書かれています。(原文縦書き。振り仮名なし。)

ウタ上「みねのはつ花谷の月七もゝとせもきのふけふ。名をも…

「たかいも「ひくいもいろのみち「のちはたがいにいふことさへも…

字体と仮名遣い

 字体を旧字体から新字体に改めました(一部使い分けのある「影」「蔭」「陰」等は例外)。
 仮名遣いは旧仮名遣いのまま入力しました。

括弧、用語の扱い

 鉤括弧が山括弧の代わりに置かれているので、鉤括弧のまま入力します。
 また、鉤括弧の位置で改行を入れます。

 節付、割注などがある場合は亀甲括弧に入れて『〔合方〕』の様に入力します。役名、役者名などが割注で付されている場合は、改行を「/」で表します。
 鉤括弧の前に節付、割注、台詞を言う役名などがある場合は、亀甲括弧に節付、割注などを入れて、鉤括弧を続けて『〔二上り〕「○○…』の様に入力します。
 本文に著者が付けた注記が丸括弧書きで付けられている場合は、同様に丸括弧に入れてそのまま入力します。

 ほぼ句読点が無いに近いのですが、とりあえずそのまま入力をしています。

入力時の体裁

 上記のことを踏まえて、先に例示した原稿を入力すると

〔ウタ上〕「みねのはつ花〔入〕谷の月七もゝとせもきのふけふ。〔合〕名をも…

「たかいも

〔上〕「ひくいもいろのみち

「のちはたがいにいふことさへも…}

その他

『徳川文芸類聚』巻十所収の『歌撰集』『荻江節正本』の分類先について

 『歌撰集』はめりやす集ですが、めりやすが長唄の一分類であることを踏まえ、めりやすは長唄として扱います。
 『荻江節正本』は題名からすると荻江節なのですが、上記解題にある通り『徳川文芸類聚』巻十所収の『荻江節正本』は実際には江戸長唄集であることから、『荻江節正本』に収められた曲は荻江節ではなく、長唄として扱います。