題名

月友桂川浪(つきのともかつらのかわなみ)

詞章

国書刊行会『徳川文芸類聚』 俗曲上 第九 「柏葉集」

(目次の題名『月友桂川浪(お半長右衛門)』本文の題名『〔おはん/長右衛門〕月友桂川浪』

(故人 柳井隣述)(増補 三枡屋二三治)

「月の桂の川水に浮名をながすうたかたのあはと命を信濃屋のお半をせなに長右衛門
〔半四郎/三津五郎出〕「お池どふりもかげすごき〔合〕柳のばゝを横に見て急げば名残おし小路つまにもわかれかねのねも涙ふくみて雨ぞふる堀川過ぎてやう/\と
「背なを下せばとりなりもまだ振袖のほら/\とあとやさきなるおくれがみくしげはそこよみぶ村を西へ向へば長福寺後の世てらし給はれとねがひをかけて闇を行く梅津の小橋渡れどもゑんのあさせか水かれてかじかも今はなきつくし男心をかこつにぞ
「ほんに思へば昨日今日少さい時からお前にだかれ手習せいと言はしやんしてお手本書いて貰ふたる
「いろのいろはの御師匠さんそれから思ひ染浴衣〔合〕伊勢の戻りに合宿の石部とやらの木枕がかたいお前と〔合〕新枕そひねの夢をさませとやそのまごぶしに起されて
〔二上り〕「かさはてるてるヤレもみのひも〔合〕恋をすゞかに〔合〕袖くもるナアエヽあめのつち山ナアエぬれてぬるよでナアエヽ
「心のたけをむすぼれて胸も今さらくもらなり
〔三津五郎〕「コレお半道々もいふとふり此長右衛門は大恩ある幸之進様の若旦那幸左衛門様を手にかけたれば所詮生きては居られぬ此身そなたはこゝから早ふかへつてたも
「聞いてお半はさしうつむいてなんにも言はず振袖の
「袂かざして顔のぞきこれいな長右衛門年もゆかいでやゝうんで
「ながらへいよとはそりやどふよくなわたしや死んでもお前よりいとしいものがあろかいな
「ほれたが因果堪忍して一緒に殺して下さんせと露の命をませがきの消えも入りたき風情なり
「お半がなげきいぢらしくさすが男も胸せまり其心根のふびんさに涙のふちにそこいなくともにしづまん覚悟ぞと涙になみだそへにける
〔三津〕「アレ/\あの人声はたしかに追手お半かくごはよいか
「向ふに見ゆる人かげは若し追手かと心せきいざと手に手をとりのこゑはやしのゝめのそらのいろ石を袂に糸と針しゆすの帯屋と信濃屋の
「お半やい娘やい
「娘娘とよぶ声に見付られじと足元も乱るゝ月の桂川水上へと急ぎ行く。

分類番号

00-1331211-t3k2n5t5-0001
データ入力日:2016/06/03

清元 月友桂川浪 歌詞