題名

袖浦誓中偕(そでがうらちかいのなかなか)

別題

袖浦誓仲偕(そでがうらちかいのなかなか)

詞章

声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第3編 清元集(明治42年)

(桜田治助述)

『添れまいとて苦にせまいもの、命ありやこそ花が咲く、しよんがへ、そでにお駒と次郎兵衛が、死ぬる覚悟に引きかへて、今日は浮たる女夫連れ
『心も空もいつの間に、はれて目出度中となり、結句手に手も引かねて、跡や川崎ざうしきを、過ぎて蒲田に待たるゝ梅も、やがて笑顔で大森の、名さへ嬉しき枕橋〔合〕水に二人が寐姿の、陽炎ふまだき竹火縄、吸付煙草も憚りと、岩井でそれと〔合〕三津五郎〔合〕イヨ大和屋に大和屋と、行きかふ人の仇口も、聞かぬふりして黄八丈、襟にかけたる水晶の〔合〕数珠も子持と〔合〕数々の、麦藁細工しゆろの馬ほんにおみやによいとや申す、よい此の春は何一つ、ふさぐことなき道行に、いそ/\として来りける
『モシ次郎兵衛さん、互にひとつお屋敷に、勤めるうちから言ひかはし、子まであるその中へ、問ひ談合もある事か、私へ聟の相談も、ふりかはつてのお前と女夫
『サア白木屋の手代分も、紛失の刀が手に入つたれば、此の身も元の侍に、立ちかへつた尾花甚三
『ほんにもう/\何もかも、一度にすんで此の様な、目出度い嬉しい事は御座んせぬ、これと言ふのも御願をかけた
『サアそのお蔭ぢやと思ふ故、そなたと倶に二人連れ
『大師河原も有難き、光明真言真実に、女房大事と〔合〕今も尚、拝むは夜の厄難に、まけず息災延命と〔合〕祈るも廿六郷の〔合〕
『私は色に堅ぼつけ、あの川端の祖師さんへ、日に千遍のお題目、唱へて無理にお願を〔合〕かけしや袖の濡れた同士、思ふた通りこの様に、夫婦になつたも御利益と、お礼参りに又よくな、御願を結んだその足で、外へ参るはほう/゛\と、定めしお叱りなされうが、片時傍を離るゝが、厭身な奴と男気に〔合〕うるさからうが一所にと、思ひ大井の中々に〔合〕深くも見ゆる〔合〕白浪の、荒井が崎を横になし、粗朶まだ寒き浜風も、松に音する鈴が森、ほんに是まで此の磯へ、なき名を流せし其の内に、八百屋お七は恋故に、莟の花を夜桜と、こがれて散し果敢なさを、此の身に比べゆふべまで、可愛人丸桜にも、あひたきざくら逢はれずは〔合〕どう塩竃と其の聟を、桐ヶ谷でもあらうなら、白木屋駒と江戸中へ、ひよんな噂の仇名草、エヽ何をいはれぬ御親切、それは昔の伊達娘、今の女はどのやうな〔合〕義理約束があらうとも、まさかの時はおいさらば、いかに戸ざゝぬ御代ぢやとて、心にまでも情なしと、わざとじらしに乗せられて、お駒はその儘すがりつき合いそりや〔合〕聞えませぬ甚三さん〔合〕お前と私がその中は、昨日や今日の事かいな〔合〕まだお屋敷の奥勤、忘れもやらぬ正月の、しかも若菜の祝儀の夜、御ぜんがすぐに節付て、小倉の歌の総踊〔合〕天智天皇秋の田の〔合〕刈穂の庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつゝ〔合〕それから跡が御酒宴の、入乱たを幸ひに〔合〕恋のいろはを袂から、袖へ頼んで言ひかはし〔合〕二世も三世も先の世かけて、誓ひし中ぢやないかいな〔合〕それに今更気を知らぬ、常の女夫か何ぞそのやうに、そんな事を言ひさして、かこち涙ぞ誠なれ
『アヽコレ/\あやまつた/\、今のは一寸じらしたもの、腹が立つたら堪忍しや/\
『そんなら今言はしやんしたは
『嘘でなうてよいものかいの
『エヽ嬉しう御座んす
『互に抱き月代も、はやさし合の隈もなく、よみぢの契ぞ面白き

国書刊行会『徳川文芸類聚』 俗曲上 第九 「柏葉集」

(目次の題名『袖浦誓仲偕(おこま次郎兵衛)』本文の題名『〔おこま/次郎兵衛〕袖浦誓仲偕』)

国書刊行会『徳川文芸類聚』 俗曲上 第九 「柏葉集」

分類番号

00-1331211-s5d4g1a3-0001
データ入力日:2016/05/17

清元 袖浦誓中偕 歌詞