靭猿(うつぼざる)
花舞台霞の猿曳(はなぶたいかすみのさるひき)
新うつぼ(しんうつぼ)
(資料の題名『花舞台霞の猿曳』)
(中村重助述)
『新玉の春ぞと告て人来鳥、睦じ月の名にしおふ、是も歌舞伎の周の春、姿も花の帰り咲
『時も一陽来復の、当りを願ふ弓始め、弓矢八幡大名の、頼ふだ人の代参に、向ひ町から又今年、返り申しの願事の、恋といふ字が花靭、背中に背負た太郎冠者、傘をさそなら春日山、霞を分て梅笑ふ、春の野面の色含む、爰鳴瀧の花の顔見世
『立帰り、今を春辺と梅花の、色香争ふ源平の、夫は隔てし播磨潟、都の中は穏かに、袋に弓の八幡大名
『頼うだお人は北面の、更科主水経春様、今日例年の弓始め、猶泰平を祈りの為、此鳴瀧の八幡宮へ御名代の三芳野殿、お役目御苦労に存じまする
『イヱその御苦労は橘平殿も互ひの事、願ひ叶ふて又今年、お前と二人物詣、こんな嬉しい事は御座んせぬ、もう御代参の役目仕舞たからは、春の野もせを詠めながら、サア/\一緒と手を取を振払ひ
『アヽ是はしたり寄しやりますな/\、狂言詞も頑固に
『烏帽子素袍を仮初ならぬ頼うだ人の御名代、御用であらば横柄に太郎冠者あるかやい
『ハア御前にと蹲踞る
『こちは元より使はれもの、色恋の道白川や、人目の関の袖褄ならで、網引餌引四ツ手引、山ぢやへ/\木をひく麦の臼、まはらば廻れ伊勢同者、昔は車今は銭、投さんせ/\、縞さん紺さん花色さん、コレコヲレ/\小紋さんやてかんせと、引戻されたアヽ長縄手、心も優な太郎冠者
『ハヽヽヽもふ道草のおどけは取置て、サアお館へ
『イヤ/\まだめつたには帰らぬはいな
『そりや又何故で御座りますな
『サア御主人経春様、毎年の古例故、弓矢と靭を此様に持せて、氏神様へ参らせ給へど、今年はいかふ靭が損じた戻りに靭になる皮をとゝのへて来いと、言付つて来たはいな
『ハテ女中には似合ねことを仰有りつけで御座りますなア
『話し半ばへ向ふより、手飼の小猿折よくも、二人が中へ駆込めば、吃驚飛退き
『ヤア何だと思つたら、こりやア猿であつたわへ
『ヲヽ丁度な所へ放れ猿、皮をとつて幸ひの靭に
『いへ/\こりや大方主が御座りませふ何でも猿遣などが放した猿と見へまする
『そんなら其主に断らいでは悪いかへ
『何にしろ此主に逢たいものだなア
『見やる彼方へきよろ/\目
『こゝら在所の得意旦那をくるり/\と猿廻し
『隣り村から今日此村の、葺屋町へと御贔負の、風に廻され真赤いな赤かんべ、初心は知た初舞台、罷り出たらめ出放題、酒のさの字のその暇に見失ふたる猿丸の、迷子の/\の太夫やい、迷子の/\おさるやいと呼子鳥、紅葉にあらで咲まさる、まさる目出度猿曳が、紋もでつかり裏梅の、梅の林をうかれ来る
『ヲヽ太夫此処に居たか、サ爰へ来い来い、寄を隔てゝ
『すりや其猿の主は貴様か、コレ/\何と物は相談ぢやが、その猿をどうぞ譲つては呉まいか
『滅相な此太夫殿を手放しましては、翌から商売がなりませぬ
『なる程尤もぢやが、アレ彼処に御座る女中は、更科主水経春様といふ、お大名の御代参、今度賭弓の御遊に、大内で用ゆる靭に、猿の皮が入用ぢや程に、あなたに猿を売つては呉まいか
『イエなんぼう大内の御遊でも、是ばつかりは御免下さりませ/\、詫るに
『此方はつけ上り
『そんならばどうでもならぬといやるか、女とあなどり上様の、上意を聞きやらねば仕様がある
『素袍投かけ大名の、威を張つめし弓張の、矢先鋭く立かゝる、猿曳驚き飛しさり
『アヽもし待て下さりませ/\、成程斯なるからは猿の皮をあげませふが、射殺されては猿の皮に、疵がついて役に立ますまい、ハテどうか仕様がと、小首傾け点頭て
『ヲヲよい事が御座ります、猿の一打と申して急所が御座ります程に、皮にも疵の付ぬやうに、打殺してあげませふ
『そんならきつと打殺して、サ早う渡せ
『ハツ
『かしこまつて御座ると立上り、又あるまじきお望みは只今殿様殺せとある、ならぬと言ば俺ともに、只一矢にて射殺すと、引に引れぬ強弓の、仰はかなき今日の仕儀、コレましよ
『小猿の時から飼置て、朝夕の煙りさへそちがかげにて楽々と暮せしものを情ない
『畜生なれどもよう聞よ
『せめて今度は人間に生れ変つて来るやうに、数へ込だる一節に
『ヱヽさりとは/\、ヱヱ又有かいなさんな又あろかいな
『是非なく/\も立上り、振上し鞭の下廻る小猿のいぢらしさ
『アレ/\今のを御覧なされしか、打殺さるゝ鞭とは知ず、船漕ぐ真似を仕まするわいの
『そんなら何といふ、殺さるゝとは知らいで芸をするかや
『畜生でさへ物を知るに、いかに主命なればとて
『ものゝ哀れも顧みず、どうして夫が殺されう、命を助けた連て帰りや
『エヽ夫は誠で御座りまするか
『おいのう
『ヤレ/\/\嬉しや、お礼に猿に舞せませふ、天下太平御武運長久御祈祷に、猿が参つて能仕つる
『御知行もまさる目出度、踊るが手元面白や、ハンヤコリヤ/\/\黄金の数々積揃へ、庭に黄金の花盛り、花実も栄ふ目出度さよ
『さらば我らはお暇と、行を引とめ
『これ待た
『そりやまあなんの事ぢやいな、私しやお前に打込で誑されて咲くコレハ何ぢやい室の梅、笹鳴かける黄鳥菜なと納豆の朝毎に飛で行たや主の側、見れば見る程くつきりと、水際のたつよい男、男やもめと南瓜の蔓は何処までも、さいかち原の中迄も、こちやお前ならば関やせぬ、お前と一生添うなら、お薯や好な団子を、断物したが憎いかヘ
『ヱゝ女子には何がなる、焦れ/\しお姿を
『絵には書せはせぬものを、蕩気ざ惚たが分るまい、まい/\廻はる煤払ひ、枝も栄へて葉も茂る、お目出たや千代の子お目出たや/\、おきよ所の笑ひ草
『おどけ雑りに小垣の小影の、小暗い所で夜のおとゞのねんねこエヽ念が届いてばつちりと、焙烙割とは大胆な、亭主をよくもさる座頭、二人袴の綻びし、中を押へて
『やるまいぞ/\、花盗人をやるまひぞ
『おのれ逃ぎよとておいそれと、やつちやしてこい不寐の番
『棒と手拭枕もと、つかれにたわい転寐の寐息窺ひ寄る鼠、そろ/\這出しちよつかいに、はし箱膳棚を踏荒したる畜生め、これもくらはす樫の棒、すぢつてもぢつてかぎやりやヱイ/\トウ/\、やつとふの納太刀、豊かの御代の一踊
〔二上り〕『一の幣立て二の幣立て、三に黒駒信濃を通る、船頭どのこそゆうけんなれ、泊り/\眺めつゝ、千秋や万歳と俵を重ねて面々に、楽しうなるこそ目出度けれ
『立舞ふうちに以前の小猿、あたりの梅へ駆上れば、見るより吃驚
『アレ/\猿が梅の梢へ、コレ太夫おりて呉れ
『そうに三人立かゝり、届かぬ梢の綱渡り、三筋の霞猿曳や、橘花薫る花舞台、笑ひ興じて祝しける
#猿
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データ入力日:2016/05/17