#author("2016-10-21T11:37:19+09:00","default:Tomoyuki Arase","Tomoyuki Arase")
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*題名 [#o1028ab2]
八犬伝富山の段(上)(はっけんでんとやまのだん(じょう))
*本名題 [#j7b7c5da]
八犬義士誉勇猛(はっけんぎしほまれのいさおし)
*詞章 [#r6fa39b3]
**声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第4編 常磐津集(明治42年) [#x8145248]
(資料の題名『八犬義士誉勇猛』(富山の段)上)

『獅子は谷へ子を落して其勇を知り、虎の河を渡すは智なり、犬の夜を守るは義なり勇なり、主を敬ひ主を知るは是礼なり、其職を守りて私なきも又斯のごとしとかや、御代治りて曇りなき、天津日嗣百つき余り、御花園院の御宇とかや、頃は嘉吉二年の春、結城の軍破れて後、里見又太郎義実公、再び家を起さんと南総へ押渡り、滝田の城主と時めきしが、安西が奸計にて既に危き其折から、八房に伴はれ富山の奥の山住居、麓に立し高札の前に休らふ樵夫ども、仇口々に高談
『何と杢助、此札が立てから二年越し山へ入ぬが、嘸枯木が出来たであらう、モウよい加減に山を開いて下さればよいになア、わしはゆう筆ぢやによつて高札は読めず、自体どういふ事ぢやナ、わら助の何言ふぞへ、そんなら、汝侶はまだ知ぬか、滝田の御城主様のお姫様が八房といふ犬と一緒に此山にお住ひなされて御座るけな、ワレ又どうしてお姫さまとその犬が、おらも委しい訳は知ぬが、夫故に樵夫山賤は言に及ばず、狩人又は草刈まで山を登るをお止めなされたと言事と、咄す傍から狩人の鉄八は進寄り、コレ/\その委しい話は必ずするなと庄屋殿の言付なれど、外に聞者もない此の麓、おらが話して聞さうわへ、かうと一昨年の難渋年、お上に兵糧の尽きた折から、安西が八方より戦寄る、今や落城と言時に、殿様が八房に安西が首をとらば姫をやらうと言たげな、夫を聞分け八房の犬は大手を走り出で、安西が首を咬へて殿様の前に置き、大将なければ忽ちに安西方は亡びたり、八房は姫君の振袖を引咬へて引立る、殿様は腹を立て突殺さんとしたまふを、お姫様は楯となり、君の仰は倫言同然、出てかへらぬ此身の因果、安西の首とりしは八房の手柄なり、国の為家の為身を捨るは惜からず、八房に伴はれ此富山の奥住居、それ故に此山へ登ることお止めなされた、何と皆の衆痛はしい事ぢやないかいのう、と言に杢助鼻すゝり、鉄八が講釈でさらりと解つた犬の咄、大将の首取てお姫様を貰ふとは、羨望しい事ぢやないか、これからおらも戦があつたら雑兵の首なと拾ふてお末の一人も貰はうわいのう
『跡に笑ひを樵夫ども、去う/\と夕間暮、我家/\へ戻り行く
『濁世煩悩色欲界誰か五塵の火宅を脱れて、祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きなれ、さらぬだに秋は寂しきものなるに、人跡絶し富山の奥麓に埋む落葉には、盛者必衰の理を示し、谺に響く瀧津瀬と山又山の松風を、寐覚の友と身一つに、悟りすまして里見伏姫
『苔の筵に坐を占て、唱ふる経も黄鳥の、春去り来れば八重霞、花は遠目に見ゆれども、雲には近き山桜弥生は里の雛遊び、女夫双居て今朝ぞつむ、名もなつかしき母子草、誰が搗初し三ヶの日の、餅にあらむ菱形の、腰懸石も肌ふれて、やゝ暖き苔衣脱替ねども夏の夜の袂涼しき谷風に、梳らして夕立の、雨にあらふて干す髪の、蓬が下に鳴く虫の、秋としなれば色々に、岩間の紅葉織り映し、錦の床の仮初の、宿としらでや鹿ぞ鳴く、水沢の時雨晴間なき、果はそことも白雪の、はだにやれたる振袖を、かゝげて室を立出給ひ
『棄恩入無為報恩者と御仏は説せ給ふ、恩愛別離の悲しみも、皆父上の御為なるに、なつかしと思ひ奉るは、罪深き事ぞかし、三世の諸仏免させ給へいざや
『花を奉らん、おゝさうぢや
『手許やさしく閼伽手桶御法も菊の露雫、流れの音も山彦の、夫かあらぬか風ならで、遥かに聞ゆる笛の音に、伏姫耳を傾け給ひ
『思ひ寄ざるあの笛の音、妾が山へ入りしより、昨日迄も今日迄も、狩する男薪樵る、賤も通はぬこの深山、珍らしいアノ音色、草刈童の迷ひ入りしか、但しは狐狸か山鬼か、障碍をなして自らが、道心を挫かん為か、何にもせよ心ならざるすさみぢやなナ
『と見やり給へば向ふより、まだ振分のおどろ髪、年はやう/\六つ七つ、七巡りして坂道を牛にゆられて来りける、姫君暫しと呼止め
『ノウ/\童人も通はぬ此深山へ登りしは心得ず、そなたは何れの里の子ぞ、聞ま欲しやと宣へば
『ヲヽわしは牛馬のために草刈るものではない、お師匠様に使はるゝもの今日此山へ薬を採に登りました
『ムヽ薬をとりにといやるからは、そなたの師匠はお医者よな、シテその住居は
『ヲヽ此山の麓に住み、又ある時は洲先にあり、常には人の病を治し、又ある時は箸をとり、人の吉凶禍福を占ひ、或は雨乞日和の加持、天地の間にありとあらゆること、知ざることはましまさずと、いと賢げに語りける
『ムヽそんならそなたも病の道は聞つらん、自らはさいつ頃より夜に日に増て胸くるしく、次第/\に身の重きは奈何なる病ぞ、治する薬もあるならば教へてたもと宣へば
『ヲヽ夫こそはつはりのしるし又目の下に青潤とて、青き色の見えたるは、胎内に子を孕み、産月も近づきしと、云に伏姫打笑ひ
『ヲヽアノ子としたことが、流石は年ゆかざるしるし、訳を咄して聞すべし、此方へ来よと
『招ぎ給へば嬉しげに、牛の背より飛下りて、お傍近く歩み寄る、伏姫君は閼伽桶の、菊の一枝手に取給ひ
『コレ此花欲うはないかや
『ヲヽ下されやと
『もつれかゝるも愛らしく、右よ左よ戯れて、与へ給へば手に持て
『これ御覧ぜよ此花の、誰育てねど秋毎に己れと咲も雨露の、恵みを受し千代見草
『齢草ともさま/゛\に、異名も多き黄金草、姿やさしき乙女草、いざ白菊の御身にも、子を宿さぬとは言難し、といへば姫君微笑て、いやとよ夫は僻事よ、夫とてもなき独身に、嬰兒を産べきやうはなし
『夫なしとは言難し、親の許せし八房の、犬は即ち夫なり、といふに姫君姿を改め
『そなたはその初めをしつて其後を知ぬなり、御経の功力にて幸ひ身は汚されず、何ぞ悲類の八房に我身は清し潔よし、神こそ知せ給ひなん、といへば童子は打笑ひ、姫君こそ一を知て二を知ぬといふものなり、交らぬとて孕まんや、鶴は千歳にして尾らず、相見て孕み子を産り、昔唐土楚王の妃、常に鉄金の柱を抱く、終に鉄金の丸かせを産り、則ち干将莫耶の剣これなり、慥なことを語るべし、お前は当国里見の息女、悪霊付し八房に、見入られしも定る因果、身は汚されねど恋慕ふ、一念凝て胎内に、自然と宿る子は八ッ子、されど身に添ふ水晶の、珠数の徳と法華経の功力によつて、末終に里見の家の忠臣と、生れ変るも方便力、かまへて疑ひ給ふなよ、さらば/\と牛の背に乗るよと見えしが霧霞、コレのう待つてと伏姫が、すがるとすれば朦朧と、姿は失て忽ちに、掻消す如くなりにけり、はつとばかりに伏姫は、泣崩おれて居たりしが、やう/\に顔をあげ
『さては年頃信心なす、洲先の行者の仮初に、童子と現れ伏姫に、因果を諭し告給ふか、さはさり乍ら情けなや
『我身を慕ふ八房が、其執心の身に宿り、懐胎せしか浅ましや、取も直さず畜生道、ノウいまはしやコハ何とせうどうせうとわつと許りにどうと伏し、流涕これが泣給ふ、やう/\涙を拭ひ
『アヽ歎くまい恨むまい、迚も畜生三界の、胤を宿せしこの身の業、若も月満ち犬の子を産まば此身の恥、女乍らも義実が娘、憎しと思ふ八房を、守り刀にさし殺し、自ら迚も谷川の、水の泡とも消え果ん、今日を限りの露の身も、せめて未来は仏果の種、ヲヽさうぢや
『法の手向の閼伽の水、汲んと岸に静々と、立寄り給ふに水の面、見れば不思議や我面影、映るは正しく犬の顔、若し八房が来りしかと見れども影も波の音、念珠頂きさしうつす、顔は変らぬ我が面影
『ハテ不思議や初めの姿は犬の形、今また念珠をこの如く、かざして映せば我が面影、心の迷ひか空目かと、合点行ねば数珠押隠し、映せばまたも恐ろしき、犬の姿にぞつとして、数珠をかざせば我が面影、かくれば犬の顔形、わつと許りに声立て、狂気の如く立つ居つ
『彼方へうろ/\此方へ倒れ、前後正体泣崩折れ、あやめも分ず歎きしが、果しなければ泣く/\も、登る山路は剣にて、削る思ひにやうやうと、岩屋の内の苔筵、木の葉の上に坐を占て、涙にいとど露深き、今は此世の秋の霜、消る間近き玉の緒と、心細くも念誦ある、いとゞ哀れを添んとや、妻恋ふ鹿の声澄みて、谺に響く山彦の、風もの凄く更渡る
*その他の情報 [#r1bd5bd5]
*関連項目 [#h7fe88ec]
[[八犬伝富山の段(下)]]
*タグ [#ca2a0dba]
*分類番号 [#dbbda950]
00-1331200-h1t3k4n0-0001
RIGHT:常磐津 八犬伝富山の段(上) 歌詞